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河上彦斎はるろうに剣心のモデルで逆刃刀が愛刀?抜刀術や墓の場所は

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「幕末の凄腕剣士河上彦斎」

人々が、己の新年を貫いてその命を懸けて戦った時代幕末。

この時代の人物に憧れを抱く方も多いのではないでしょうか。

幕末の動乱期に活躍した人物で有名なのは、「坂本龍馬」「桂小五郎」「西郷隆盛」などが授業などでも習いますので、有名かと思います。

そんな幕末の真只中に、人斬りと呼ばれた人達が存在しました。

普段は温厚でもいざ人を斬る時にはスイッチが入ったように冷酷になる人物や、本当の異常者のように人を斬る事に喜びを感じた人までいたようです。

そんな幕末の人斬りを代表する4人というと「肥後藩の河上彦斎」「薩摩藩の中村半次郎」「土佐藩の岡田以蔵」「薩摩藩の田中新兵衛」ではないでしょうか。

そんな幕末4大人斬りも、「新選組」や「坂本、桂、西郷」の様に漫画などの作品でモデルとされる事が多く、和月伸宏氏の代表作「るろうに剣心―明治剣客浪漫譚―」の主人公「緋村剣心」も「河上彦斎」がモデルにされているのです。

そこで、今回はその「河上彦斎」についてご紹介いたします。

 

河上彦斎ってどんな人

河上彦斎は、肥後藩(熊本県)の下級藩士の小森貞助の次男として1834年11月25日に生を受けました。

小柄で色白な彦斎はまるで、女性の様だったと言われています。

性格は真面目で、たんたんと仕事をこなすような人だったそうですが、笑っていたかと思うと人を斬る様な人物であったと言われており、幕臣の「勝海舟」「近藤勇」でさえも恐れていた人物だったと言われています。

「河上彦斎」が実際に斬ったと残る人斬りは「佐久間象山」しか伝わってはいませんが、海舟の「本当に怖い人だったよ」という言葉や近藤の態度から、実際は相当数の人を斬っていたのかもしれません。

新選組のサムライイラスト

 

彦斎の愛刀

漫画「るろうに剣心」では、主人公「緋村剣心」は逆刃刀ですよね。

しかし、剣客の持つ刀として何の理も持たない刀としての逆刃刀はおそらく存在していなかったはずです。

では「河上彦斎」の愛刀は何という刀だったのかというと、彦斎自体が肥後藩の下級藩士の家の出ですから、おそらく同田貫ではないかとされています。

正確には、肥後国同田貫宗廣という刀なのですが、肥後藩には同田貫一門という刀工集団がいましたのでおそらく間違いないでしょう。

同田貫で間違いないという根拠はもう一つあり、それは彦斎の抜刀スタイルです。

片手抜刀をするには、おそらく反りの深さが必要なのですが、同田貫ならば反りの部分でも十分に理にかなった形であります。

我流の彦斎の剣は使い慣れた刀との相性の影響が大きいはずなので、若い藩士が持っている刀という根拠からやはり同田貫が有力なのです。

 

抜刀術

河上彦斎が最も得意としたのは、先ほども少し触れましたが、片手抜刀術です。

日本刀はとても重く片手で振るというととても大変なのですが、居合いというスタイルであれば今も残っていますよね。

彦斎は我流でこの居合のようにして片手で刀を抜く抜刀術という物を考案したとされています。

どのようなスタイルかというと、通常居合もですが肩からお腹を斬る袈裟切りというのが基本です。

しかし彦斎の場合は逆袈裟斬りという斬りあげるスタイルなのです。

普通日本刀は重さを活かして振り下ろしますが、振り下ろすには振り上げるという動作が必要になります。

しかし逆袈裟斬りであれば、振り上げる動作の時には斬り終えていますので、刀が行って帰るよりも断然早く人を斬りつける事が出来たのです。

 

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緋村剣心のモデルの証

彦斎が緋村剣心のモデルであるという事が分かるシーンというのが、奥義天駆龍閃を放つ場面です。

この時剣心は左足を前へ出し、片手抜刀の逆袈裟斬りで一刀目を繰り出します。

これは彦斎が得意とした抜刀術で踏み出す足こそ違いますが、右足を力強く踏み込み左足の膝が地面に着くほどの位置から逆袈裟斬りを放っていたという、場面と非常に酷似しています。

また、超神速の飛天御剣流は1対多の斬り合いを得意としていましたが、彦斎の考案した「玄斎流」も1対多の斬り合いを得意としていたそうです。

この「玄斎流」本当にこんな流派はありませんし、彦斎が我流に付けた流派の名前みたいです。

 

河上彦斎の最期とお墓の場所

幕末の4大人斬りと言われた彦斎は明治に入り有終館という兵学校を開設します。

この有終館では開閉200人、陸兵100人が学んでいました。

この有終館で自らも教壇に立っていた彦斎のもとへかつての同志である「大楽源太郎」が明治政府の転覆を企み、助けを得ようとやってきたのです。

有終館の兵を貸してほしいと言う大楽に対し彦斎は兵を貸す事は出来ないと断りましたが、見捨てる事ができず、大楽とその仲間たちを匿うのです。

これが藩にバレてしまい、彦斎は逮捕され学校も2年という短い期間で解体されました。

その後彦斎は反政府の嫌疑の対象とされ、判事を務めたかつての同志たちの説得も空しく、説得を拒否した彦斎は明治4年12月に38歳という若さで斬首とされその生涯を閉じたのでした。

その後の調査で、疑われていた事件への関与の可能性はいずれも低いとされましたが、明治政府の危険因子とみなされた為疎まれて斬首されたのだとも言われています。

 

彦斎のお墓は、東京都にある池上本門寺の中の「熊本県人合墓地」の囲いの中にあります。

前面にあるのは慰霊碑で後ろにお墓があるようですよ。

 

最後に

というわけで、今回は「るろうに剣心」の主人公「緋村剣心」のモデル「河上彦斎」についてご紹介しました。

るろうに剣心を読む際には、彦斎の事も頭の片隅に置いて見てみると、また変わった世界観が見えるかもしれませんよ。

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