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懐古厨は老害?若者が嫌いで社会の害悪になる理由と心理とは

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とにかく昔を持ち上げ、今を否定する存在である懐古厨

この時点でかなり捻くれた困った人達であるのは明白ですが、実のところ誰しもこういった側面はあったりします。

ここではそんな懐古厨の実態に迫っていきたいと思います。

 

懐古厨は老害と性質が同じ

多くの場合、懐古厨といえばアニメや漫画、ゲーム等娯楽が対象とされるのですが、もちろんそれらに限定されるわけではありません。

冒頭でもお話ししたように、彼らはとかく昔の全てを持ち上げ、今の全てを否定したがります。

理屈うんぬんではないのです(もっとも本人的には理屈だと思い込んでいますが)。

「最近の若いもんは」

という言葉も、まさに懐古厨の一側面と言えるでしょう。

これは老害という捉え方もできますね。

ですから懐古厨と老害というのは、元を辿ると性質上はかなり似通っているのです。

 

ただ、懐古厨はだいたい中年以上の年代であれば対象になってきますが、老害は基本的に50歳~還暦を過ぎた老人を指すことが多く、対象年齢の違いはあります。

また、懐古厨は多くの場合において懐古、つまり昔を懐かしむという一見健全そうな行為の裏側にその本性を隠しているのに対し、老害の場合はストレートに敵意を表現するため、その態度にも違いがありますね。

 

「昔」と「今」とでは「今」が勝利する

しかしながら、ここで決して目を背けてはならない、非常に重要な事実があります。

それは基本的に昔と今では、今の方が勝利することです。

たとえば、人類の生活は文明の発達と共に、どんどん豊かになり、便利になっていきました。

食べ物にもあまり困らないようになりましたし、娯楽の数も比べ物にならないほど増えました。

それはつまり、「生活の質が上がった」ということです。

 

また、それは競技の記録にも言えます。

競技の記録というのは、時代と共にどんどん塗り替えられていきます。

たとえば100m走で初めて10秒の壁が破られたのは1968年ですが、それまでは人間が10秒を切ることは不可能とまで言われていました。

それが今や10秒切るくらいはオリンピックであれば当たり前レベルで、最高記録が9秒6程度となっているわけですから、その進歩は明白です。

であるならば、記録に表れないところも進歩していると考えた方が自然ですよね。

大体競技での記録は絶対的な数字ではないので、懐古厨や老害の「昔の方がレベルが高かった」という発言の対象になり易いのですが、基礎的な身体能力の高さが競技のパフォーマンスに直結するのは間違いないわけですから、その時点で昔の方が上、という理屈はかなり無理があります。

ちなみに、世界の本塁打記録を持っている王貞治氏は、

「今の時代であれば、私はレギュラーにすらなれないだろう」

と語っています。

もちろん謙遜も入っていますし、王氏は「今の時代と同じ練習環境があれば負けない」とも語っていますが、それを理由に「昔の方がレベルが高かった」と言ったらただの言い訳にしかなりませんからね。

ともかく、当時よりレベルが上がっているのは事実でしょう。

 

それだけではなく、精神的にも成長しています。

昔はとんでもなく残忍な行為が普通にまかり通っていましたが、今は違います。

これは決して法が整備されたからという理由だけではなく、過去には国単位で侵略戦争をしたり、見せしめ等で必要以上に命を奪うことが当たり前でした。

 

このように、部分的に見れば一時的に後退しているものもありますが、

全体としてみれば流れは明らかに前進している

のです。

ですから、戦争や飢饉、政治体制の極端な変化で最低限の社会的生活が脅かされるケースは別とすれば、昔と今どちらが良いかと言われれば、いつの時代も今が勝利するのです。

 

昔と今を比較した場合、今が勝利するというこれだけ明白な証拠が揃っているのにも拘らず、昔を持ち上げ、今を落とそうとする懐古厨。

彼らは勝っているように見えるある側面のみ(それも大体主観ですが)を取り上げ、昔の良さと今の悪さを主張します。

しかも彼らは歳が上な分だけ発言力がある人が多いため、それだけ社会全体に影響を与える可能性が高いのです。であれば、「社会の害悪」と言われても仕方ないですよね。

懐古厨kutiurusai

 

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懐古厨はなぜ懐古厨になるのか

それにしても、なぜ懐古厨はそこまで昔を持ち上げて、今を否定したがるのか。

その根本的な理由は、

「自分が幸せだと思いたいから」

です。

 

自分たちが小さい頃の経験したことよりも今の方が質が上だと思ったら、それは相対的に自分たちよりも今の若い人達の方が幸せである、という捉え方もできます。

懐古厨は心の深い部分で、それが全く気に入らないんです。

懐古厨というのは基本的に強い劣等感を抱いています。

ただ、誰しも劣等感は大なり小なりあるので、この気持ちは理解できるはずです。

実際、昔の自分達よりも今の人達の方が娯楽もたくさんあるし、出会いもたくさんあるしでより楽しい青春を送れている、と思ったらあまり良い気はしないのではないでしょうか。

しかしながら、懐古厨は極端であるがために、その現実を直視することができないのです。

少しでも自分達の方が相対的に幸せじゃないという見方が見つかると、それに対して激しいネガティブな感情が沸いてきます。

そしてその感情を解消する方法は、とにかく自分達の時代(昔)を持ち上げ、若者の時代(今)を落とすこと。

そうすることによって、自分自身を納得させたいのです。

 

懐古厨といじめの心理の共通点

ところで、対象を落とすという行為自体は、決して懐古厨に限定されるものではありません。

誰かをけなすと、相対的に自分の価値が上がります。

人を苛めることで気が晴れるのも、まさにこの理屈になります。

こういう人達はもともとが幸せじゃないから、誰かを不幸にすることで相対的に自分が幸せになろうとするわけです。

 

しかしながら、それは一部の人にとっての相対であり、客観的に見た場合は何も変わっていません。

それどころか、そんな情けない方法で幸せになろうとする自分が惨めに感じてきて逆に辛い気持ちになってしまいます。

こうして、負のスパイラルに嵌っていくのです。

これらは全て自分の顕在的な意識の外、つまり深層心理で行われている思考になります。

いじめを当たり前のように繰り返す人というのは、こういったことが自分の心の中で起こっているという現実を理解していません。

もっとも理解したところで、実際にいじめる対象が目の前に存在するのであれば、やめるのは大変なことではありますが。

 

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