スマートフォン解析

自己嫌悪に陥る原因は勉強や仕事、嫉妬にも?でも鬱になる必要はない

Sponsored Link


自分が嫌いになってしまうと
とても辛い気持ちになるのですが、
人はなぜ自己嫌悪に陥るのでしょうか。

 

自分を嫌う理由は他人を嫌う理由と同じ

よく自己嫌悪に陥る人は

努力家であって、妥協を許せない人

理想が高過ぎる人

優し過ぎる人

と言われることがありますが、
それは決して問題の根っこではありません。

ここでは世間で言われてるのとは違う
視点から取り上げますが、
非常にシンプルかつわかり易い理屈です。

 

自己嫌悪に陥る理由を考える際、
まず一番最初にするべきことがあります。

それは嫌いな人を思い浮かべることです。

もし自分がその嫌いな人と
同じような特徴があると思ったら、
あなたは自分のことを嫌いになります。

たとえば

神経質であったり

時間にルーズであったり

三日坊主であったり

片付けられなかったり

etc….

 

また、嫌いとは見下しの感情も含まれます。

たとえば、自分より劣っている誰かを
見下したりバカにしたりする場合、
もし自分が誰かより劣っていると感じたら
自分が見下したりバカにされているような気分になります。

よって自分のことを嫌いになるのです。

 

さらに、嫌いには明らかに健全な感情にも含まれます。

たとえば、誰か優しい人を見ても
「でもあの人はこういうところが偽善的だな」
と嫌な気分を感じたら、
自分は少しも妥協ができなくなります。

マザーテレサのような、史上に名を残すような
素晴らしい人格者になるしかなくなるのです。

 

Sponsored Link

 

自己嫌悪がない人の特徴

上で取り上げた内容はもちろん、
全て逆のことが言えます。

誰かの性格のどこどこが嫌い、
というのがない人は自分のどこどこが嫌い、
ということにならないのです。

他の誰かが自分よりも勉強や仕事が
劣っていたとしても見下すことない人は、
たとえ自分が誰かよりも劣っていたとしても
自分自身はその誰かから
見下されている気分にはならないのです。

そうなれば、自分のことを
嫌いにもなりませんよね。

これは実際がどうかは関係なく、気分の問題です。

つまり、実際に見下されていても、
人を見下さない人は
自分を嫌いになることはないということです。

 

嫉妬

ちなみに、嫉妬というのは自分の持っていない
何かを持つ人に対して抱くネガティブな感情です。

ですから、そんなネガティブな感情を抱く
自分に対して嫌いな気持ちを持ってしまう人がいます。

しかしそれも結局、元を辿れば
嫉妬する人を嫌いだからです。

嫉妬する人を受け入れれば、
嫉妬する自分も受け入れることができるのです。

そうなれば、もう嫉妬心は抱かなくなります。

そしてそのネガティブな嫉妬の感情は
ポジティブな競争心に変わるのです。

孤独は人を賢者にするが寂しい、辛いの孤独感は駄目

 

鬱になる全く必要はない

ただ、こういうことを言うと

「じゃあ私が自己嫌悪に陥っているのは人を嫌ったり、
見下したり、嫉妬したりしているからなのか」

と考えて、「自分は心の汚い人間だ」
とさらに自己嫌悪に陥ってしまう人がいるかも知れません。

でも実は、それは全然嫌うべき対象ではありません。

人間なんて誰にでも
汚いところはあります。

だからこそ、世の中には
程度の低い争いが絶えないのです。

程度の低い意地の張り合い

 

自己嫌悪を感じる人というのは
自分としっかりと向き合える人であって、
むしろ立派な人だと思います。

多くの人はそんな自分の汚れた心と
向き合うのが嫌で心に壁を作って生きています。

だから人を嫌ったり、見下したりしても
自分は別物として(表向きは)自己嫌悪に陥らないのです。

でもそんな自分に嘘を付きながら
生きる人生ってどうなんでしょうか。

と、本人たちも感じていますから
知らず知らずにしっかりストレスを溜めていますよ(笑)

心の壁で気付かない振りをしているだけで、
自己嫌悪の感情は心の奥底に抑え込んでいますからね。

そういう人は大概最後まで
逃げ切ることはできないので、
いつかどこかで嫌でも
現実や自分と向き合うことになります。

散々逃げ続けて最終的に
向き合わされるときの苦悩とは
どれほどのものなのでしょうか。

 

ですから自己嫌悪を感じる自分を劣ってるとか、
心が汚いなんて思うのはやめてください。

私はむしろ素直で優しい人だと思います。

人間は自分と向き合うことで
成長していきますから、
むしろ見込みがあって
将来が楽しみなのは
自己嫌悪を感じる人の方なのです。

するべき努力も、はっきりしていますね。

どうしたら今まで嫌いで
受け付けなかった人を
受け入れるようになって、
見下してた人を認めることができるようになれるか。

これができれば全て解決します。

もちろん口で言うほど簡単ではないですし、
完璧にできる人などいないと思います。

それでも私たちは、少しずつ成長し
心を豊かにしていくことができます。

それによって、私たちは少しずつ
本当の幸せに近づいていくのではないか
ということを思うのです。

         Sponsored Link






コメントを残す

サブコンテンツ

カテゴリー

このページの先頭へ