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無意識はいつも正しい?運や出会いを司る存在と集合意識

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潜在意識、無意識と一言で言っても
それは層のようになっていて、
とてつもなく深いという話を前回の記事でしました。

潜在意識とは。無意識の行動には意味がある?

 

今回はその続きで、四番目以降の階層について語りたいと思います。

その前に、「無意識がいつも正しい」
とおっしゃっている方もいるようなので、
そのことについて持論を語ろうと思います。

 

無意識はいつも正しい?

潜在意識の深いところに
入っていけば入っていくほど
より頭を使った「思考」や「感情」から
漠然と抱く「心」の部分に近付いていきます。

つまり、自分の本心です。

この自分の本心というのはとにかく客観的なものの観方をします。

ですから、本心に従っていれば
基本的に成功するのです。

そういう意味では、
「無意識はいつも正しい」は正しいと言えます。

しかし人間というのは、得てして
自分の本心の部分に対して蓋をして閉じ込めてしまいがちです。

何故なら、現実には自分にとって都合が悪く、
目を背けたくなるようなことがたくさんあるからです。

その際、実際に目を背けたり、
自分の都合の良いように解釈してしまうこともあります。

その結果として、もともと成功への道筋が
しっかり見えていたはずなのに
それが見えなくなってしまうのです。

考えてみれば当たり前の話ですよね。

自分都合の考え方をしていたら
客観的な見方ができなくなるわけですから。

成功への道筋は、現実に対して
客観的な見方ができるからこそ浮き上がるのです。

ですから
「無意識はいつも正しい」
という言葉は、
「もし無意識の声を正確に聞くことができれば」
という条件を付けなければ、必ずしも正しいとは言えません。

 

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潜在意識の四番目の階層

四番目といってもこの区分け自体は
完全に個人的なものなのですが、
意識としては明らかに存在します。

このレベルの深さの潜在意識は別の呼び方で
「超意識」であったり「無意識」であったりと呼ばれます。

潜在意識自体も人によっては
無意識と定義されますから
少しややこしいのですが、ここでの無意識、
つまり超意識とはもはや深層心理と呼ぶことすら
違和感を感じる域の意識、と言ったら良いでしょうか。

一言で言えば、エネルギー(気)です。

 

運や出会いを司る存在

信じられない人は多いと思いますが、
目に見えないだけで人間の心で思っていることは
何らかのエネルギーとして世の中の人達に送られているのです。

たとえば誰かを恨んだらその恨みのエネルギーがその人のところに飛びます。

誰かの幸せを祈ったらその幸せを願うエネルギーがその人のところに飛びます。

これは一種の念のようなものと考えてもらうと良いと思います。

エネルギーが飛ぶということは、もちろん
そのエネルギーの性質の影響を飛ばした相手、
あるいは飛ばした先に与えます。

ですから当然、運や出会いにも大きな影響を与えます。

 

しかしながら、ここで絶対に注意しなければならないことがあります。

それはどのような性質のエネルギーであろうと
必ず自分にも跳ね返ってくるということです。

たとえば人を恨むような悪いエネルギーは
自分自身の災いとなって帰ってきます。

逆に人の幸せを願う良いエネルギーは
自分自身の幸せとなって帰ってきます。

 

とても不思議なことですし、ちょっと信じるのが
難しいかも知れませんが、これは紛れもない事実なのです。

でもこのような気持ちのエネルギーに近い存在が、
意外と私たちの生活の身近に溢れているんです。

その代表的なのが電波です。

電波なんて今でこそ当たり前になっていますが、
昔の人は絶対に信じなかったでしょう。

番号を押したら特定の携帯に繋がり、
そこで会話ができるとか
冷静に考えたら少し異常な気がしないでしょうか。

しかも電波は、空気中だけでなく
宇宙空間であっても問題なく繋がります。

その実態が何なのか、
はっきりと説明が付かないのが現状なようです。

当たり前の幸せに気付く事の大切さとは…英語ではどう表現する?

 

さらに奥にある集合意識とは

少し逸れましたが、
この無意識・超意識はさらに二つに分けることができると言われています。

それは個人的無意識と集合的無意識です。

あえて分ければ、4番目の階層が個人的無意識で、
5番目の階層が集合的無意識と言ったら良いでしょうか。

集合的無意識というのは、
この世全体に繋がる共通の意識のことです。

人間のみならず、地球のみならず、
宇宙を含むこの世の全てと繋がっている意識。

宇宙のような意識イメージ

さらに過去や未来、つまり時空も含みます。

 

そうなれば当然、何も理解できないことなどなくなってしまいます。

ますます信じられない話に
なってきてるかも知れませんが、
もちろん人間として生きている以上は
どうしても個の存在であり、
自我や煩悩があるために
全体と繋がるなんていうのは不可能です。

どこまでそこに近付けるか、
という程度問題になってくるわけですね。

 

結局、私たちはこの世に生まれてきて、
個として生きる、という制約を自分たちに与えているのです。

その中でどれだけ真理に沿った生き方、
つまり本心に従った生き方ができるか。

まさにそれこそが個人の真価なのだと思うのです。

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