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人間不信の一番の原因は裏切りではない?克服しなくても恋愛はできる

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人間不信で苦しんでいる人は、
世の中にたくさんいると思います。

しかしながら、人間不信というのは、
実は根本的な考え方を改めることによって
ある程度問題を解決することは可能なのです。

そしていきなりぶっちゃけてしまえば、
実は克服する必要はなかったりします。

ここでは人間不信という心の症状について、
その原因と付き合い方等を取り上げていきたいと思います。

 

人間不信とは

人間というのは程度の差こそあれ、
常に誰かを信用して生きています。

自分の家族であったり、友人であったり、
隣人であったり仕事仲間であったり。

しかしながら、人間不信に陥ると、
その人達を信用できなくなってしまいます。

人を信用できなくなると、
人を常に疑って掛かるようになるわけですから
これでは生活にかなりの支障をきたしてしまいますね。

 

一般的に言われる人間不信の大きな原因

では、なぜ人は人間不信に陥るのか。

そのもっとも大きな原因の一つ
として挙げられるのが、
信用している人の裏切りです。

もし自分がもっとも信用している人が
自分を裏切り、それによって
とんでもない目に合わされたら。

多くの人は恐らく、
誰も信用できなくなるでしょう。

何故なら、それによって
「誰を信用できるか」
の基準が崩壊してしまうからです。

 

もっとも信用していた人は、
自分の基準の中で
「もっとも信用できる」
と考えていた人なわけです。

従って、その
「もっとも信用している人」
に裏切られたという事実は、
自分がこれまで抱いてきた
「誰を信用できるか」
の基準が完全に間違っていたことを意味し、
誰を信用して良いかわからなくなってしまうのです。

これは非常に恐ろしいことと言えるでしょう。

大概の場合、直接的な裏切りによって
被った損害以上に、こちらの方が深刻です。

 

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人間不信のもっとも理想的な解消法

ただ、人間不信の問題は
視点を変えることで理屈上は解消できます。

というより、これはもっとも理想的な解消法と言えます。

それは

「誰でも信用し切ってはいけない」

です。

「え?それって人間不信じゃん」

と言えば、そうです。

確かに、人間不信には違いないのですが
心の病としての人間不信とは完全に別物です。

つまり結局、人間不信の人と

「誰も信用できない」

という考え方は同じなのですが、
捉え方がポジティブなのか
ネガティブなのか。

そこが唯一にして最大の違いになります。

人間不信kokuhk

 

人間不信になる一番の原因

上で挙げた方法がなぜ理想的なのか。

人間不信に陥って苦しんでいる人は、
間違いなく
「誰も信用できない」
とネガティブな方の考え方をしています。

なぜそうなるかと言えば、
もともと人に対しての「依存心」があるからです。

「依存心」があるからこそ、
「裏切られたらどうしよう」
と思うわけです。

 

「依存心」がなければ、
「裏切られたらそのときはしょうがない」
と考えます。

「裏切られたらそのときはしょうがない」

という考え方であれば、
別に仮に裏切られたとしても
特に傷付くこともない。

現実をポジティブに受け入れることができるのです。

つまりこの「依存心」こそが、
人間不信になる一番の原因であり、
根本的な原因なのです。

 

もちろん、人は誰も信用できない
なんてことはありません。

恐らく、信用に足る人物は
周りにもいるだろうと思います。

しかしながら、
その見極めができる人は
非常にまれです。

それは一般的に思われている以上に、
本当に難しいことだからです。

(精度を上げることはできるでしょうが)

ですから、基本的にどんな相手も
信用し切ってはいけないのです。

たとえそれが家族でも、親友でも。

そう言うと嫌な気分になる人も
いるかも知れませんが、
それが現実なんだからしょうがありません。

 

信用しきることは依存心

というか実のところを言えば、
そもそもの話として、
別に誰が本当に信用できる人か
わかるかわからないかはあまり関係ありません。

何故かと言えば、信用しきるというのは
それ自体、相手に対しての「依存心」だからです。

つまり相手からしてみれば、
依存されていることになるわけですから
けっこう迷惑な話なのではないでしょうか。

「勝手に私を信用し切ってるんじゃないよ!」

とならないでしょうか。

 

当たり前ですが依存されるって、
けっこう疲れますからね。

依存されている側からしてみれば
ギブ&テイクの理想的な人間関係ではなく、
何故か自分が一方的にギブしている関係です。

そしてこれは非常に重要な視点ですが、
だからこそ逆に、裏切りたくなるとも言えるのです。

利用してやりたくなるのです。

自分の失敗や精神的な未熟さで
被害を被ったと責められたところで、
なぜ、誰かの分まで責任を
背負わされなければならないのか。

となるでしょう。

ですから

「あなたが勝手に私を信用し切った(依存した)からでしょ」

と言われたら、何も言い返せない
のではないかと思います。

依存症の治し方の原点とは何か

 

克服しなくても恋愛はできる

恋愛についても、同じことが言えます。

相手を100%信用するのは依存になります。

特に恋愛というのは
楽しみたいという想いが
前提として存在しているので、
相手を100%信用したくなるものです。

でも100%信用し合う関係は、
決して純粋な愛」ではありません。

あくまで遊び、
愛」です。

何故なら、

純粋に愛し合っている関係とは、
お互いを尊重し合うもの

だからです。

「純粋な愛」は信頼関係に基いて成り立っています。

信頼関係とは、相手に依存しないことは当然ですよね。

つまり、多くの人は
勘違いしているのですが
信用=信頼ではないのです。

信頼(純粋な愛)とは、
相手の未熟さも含めて受け入れてあげること。

たとえ相手が愚かで自分勝手な行動を取っても、
それを理解し、どうしたら成長できるかと考え
そのためにできる何かをしてあげることなのです。

ですから、

「人間不信でありながら、恋愛をすることはできる」

というより、むしろその方が
人間関係としては健全なあり方と言えるのです。

 

最後に

結局人間なんてみんな悪い
ところがありますし過ちも冒しますから、
言ってしまえば100%信用できる人
なんていないでしょう。

しかしながら100%誰かを信用する、
実はその行為自体が
相手に対しての依存心であり、
思いやりのない行為であるということ。

その考えに基づいて生きていれば、
ポジティブな考え方ができ、
決して人間不信で苦しむことにはならないはずなのです。

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